「迷惑をかけてはいけない」を考える

なんか衝動的にブログを始めちゃったなーまあ書きたくなったんだよね。さっき、あるブログを見ていて思ったことを。


そこには、こう書かれたいた。


「なぜ日本人は過剰に人目を気にして皆に合わせるのか?」日本の子供は何かをしようとすると「他人に迷惑かけちゃダメ!」と誰もが教わる。「あれもこれもダメ!」となると意欲がなくなる。



厚切りジェイソンとかいう人の、本を読んだ人が書いたコメントとのことだった。似たような言い方は昔からあるのだけど、これはある意味、危険だなーと前から思っていた。

どこが危険かというと、この「迷惑」は何を指しているのかということだ。常識的に考えれば「建物の中で走り回ってはいけない。(人とぶつかれば互いにケガする可能性がある)」とか「病院の中で騒いでは、いけない。(病人に騒ぎ声は辛いし、人とぶつかれば大惨事)」「家の中で騒いでは、いけない。(騒音になるし、家の中のものを壊してしまうこともある)」といった類いだろう。早く言うと、人の安全や健康、所有物への害を与えるなということだと思う。だから「自分がされて嫌なことは他人にするな」が、その根本だったのだろう。

しかし、このコメントの「迷惑」が指しているものは、相手の為に自分の意にそぐわないことでも同意したり、相手の為に自分の人生も自分で決めてはいけない。などを指していた。

多分コメント主は「迷惑をかけてはいけない」の意味を理解していないのだろう。だけど言わんとしていることはわかるよ。つまり過剰に人の顔色を伺うような風潮は、おかしいと言いたいのだろうね。

ただ今の日本で、言いたいことを言って、思いついたことを、そのまま行動に移すようになるのも嫌だなあと、思う。

いくつか例を

ありのままの自分でいい→時間も場所も何も気にしない。皆が受け入れてくれると思っているかのよう。傍若無人になる。

思ったことを言える人→悪口レベルの思ったことを言っているだけで、肝心な事には口出さない。しかも本人に面と向かって言えれば、悪口ではないという謎理論。誹謗中傷という言葉もあるよ!

いい子はダメになる→本心で思ったり、やったりしても、周囲が「いい子はね~ダメになるのよオオオ」としか評価ないこともある。結果、意図的に悪い子に。

ダメダメ教育は子供をダメにする→躾すらもしなくなった。

常識を疑え→他人への配慮はしなくていいや!再び傍若無人になる。


こんなはずではなかったのだろうけど、受取り側がキチンと考えることをしなかったばかりに、間違った方向に行ってしまっただけでは、ないだろうか?書き方や伝え方も良くなかったのかもしれないが。

このまま「迷惑をかけてはいけない」の意味を取り違えると、やはり傍若無人になるだろう。また最近では、ただの差別発言を表現の自由という人まで出現してきているし。これらのことを考えると、日本人に1番始めに必要なのは、考える力ではないかと、私は思う。